物質の状態を測定するとき、分析をしなければいけません。分析手法はさまざまですが、その中の一つにラマン分光法があります。
分子は互いに振動しています。これら分子同士の振動の度合いを調べることで、化合物の様子がどうなっているのかを確認する手法になります。光を当て、出てきた光の様子(スペクトル)がどうなっているのかを見るのです。
ラマン分光法によって観測されるピークをラマンスペクトルといいます。化合物の構造解析で活用され、既知物質を測定するときに利用されます。
それでは、ラマンスペクトルの原理はどのようになっているのでしょうか。ラマンスペクトルの考え方について解説していきます。
もくじ
構造決定ではなく、既知物質との比較に用いる
赤外分光法のデータを補うものとして、ラマンスペクトルがあります。赤外吸収法によって得られるIRスペクトル(赤外吸収スペクトル)のデータは以下のようになります。
これと似たデータを得られるのがラマンスペクトルです。
IRスペクトル(赤外吸収スペクトル)を見ても、読み取れるデータは非常に少ないです。これと同じように、ラマン分光法を試したとしても、そのデータから得られる情報はほとんどありません。未知化合物を測定したとしても、何も分からないと考えましょう。
一方、スペクトルデータとして非常に多くの複雑なピークが表れることから、既知物質を調べるときは有効です。基準物質と比べたとき、スペクトルの形が同じであれば、同じ物質だと推測できるようになります。
IRスペクトルもラマンスペクトルも、構造解析では既知物質を調べるために利用されると考えましょう。
ラマン散乱でのエネルギー差を測定するラマン分光法
それでは、ラマン分光法では何を調べるのでしょうか。ラマンスペクトルでは、散乱光のエネルギーを測定します。
光が分子に当たったとき、透過・吸収・散乱のどれかをします。紫外可視吸収スペクトルや赤外吸収法など、多くの分析手法では光の吸収を測定します。光を照射したとき、出てくる光がどれだけ弱まっているのかを測定するのです。
一方でラマン分光法では、光がどれだけ散乱するのかを測定する手法だと理解しましょう。
物質に光を当てることで、ラマン散乱という現象が起こります。そこで、ラマン散乱によって生じた光エネルギーを測定し、スペクトルのピークを観測するのです。
通常の散乱はレイリー散乱
光の散乱としては、最も一般的な現象がレイリー散乱です。光の屈折がレイリー散乱です。私たちは毎日、レイリー散乱の現象を見ています。
例えば空はなぜ青いのでしょうか。また、夕焼けはなぜ赤いのでしょうか。これらの現象はすべて、レイリー散乱によって引き起こされています。
光が分子に当たることで、いろんな方向へ散乱します。赤色の波長の光は散乱しにくく、青色の波長は散乱しやすいです。その結果、夕方では青色の光が私たちの目に届く前に散乱してしまい、赤色が残ります。その結果、夕焼けは赤いです。
レイリー散乱による現象を私たちは常に見ています。ここから、光が物質に当たることで散乱することを理解できます。
ストークス散乱または反ストークス散乱を観測する
ただ、ラマン散乱はレイリー散乱とは異なります。通常はレイリー散乱ですが、特殊な散乱がラマン散乱だと理解しましょう。
外部から光エネルギーを当てると、分子に存在する電子は高いエネルギーを得るようになります。その結果、電子遷移を起こします。これを励起状態と呼び、不安定な状態となります。
しかし、物質は不安定な状態を嫌います。そこでエネルギーを放出することで、元の安定した状態(基底状態)に戻ろうとします。レイリー散乱では、こうした現象が起こっています。
ただ中には、光エネルギーを加えた後、元の状態よりも高いエネルギーの光となることがあります。光からエネルギーを吸収し、散乱するのです。これをストークス散乱といいます。
一方で光エネルギーを加えた後、元の状態よりも低いエネルギーに落ち着くこともあります。光に当たった後、光が分子の振動エネルギーを吸収することで、分子はより低いエネルギーとなります。このとき観測される散乱を反ストークス散乱といいます。
同じ物質であっても、物質が運動するときのエネルギーは異なります。例えば原子同士の結合はバネのようなものであり、以下のように振動しています。
当然ながら、振動の状態が違えばエネルギー状態も異なります。同じ物質であっても異なるエネルギーをもつのです。光が分子に当たった後、元の状態(基底状態)に戻ることが多いものの、異なる振動をすることもあります。その結果、エネルギーに違いを生じます。
このときレイリー散乱の場合、光のエネルギーは変わりません。つまり、何も観測できません。
一方でストークス散乱や反ストークス散乱が起これば、光は分子に対してエネルギーを与える(またはエネルギーを減らす)ことになります。つまり散乱した後の光はエネルギーの強さが変わり、光の色も変化します。
光を分子に当てることで、出てくる光のエネルギーや色に変化が起こります。光のエネルギーが変化したのであれば、同じだけ分子の振動エネルギー(振動数)が変化したといえます。これらの現象がラマン散乱です。
双極子モーメントによる電子雲でレイリー散乱が起こる
それでは、なぜ光エネルギーを外部から加えることで、エネルギーの違いを生じるようになるのでしょうか。まず、レイリー散乱を生じる理由から確認していきましょう。
電子は電荷をもちます。電場(電子に影響を与える空間)が存在しない場合、特に何も反応は起こりません。
一方、ここに電場があるとどうでしょうか。プラスやマイナスの電場を与えると、分子に存在する電子雲は電荷の違いを生じます。つまり、分子の中でそれぞれプラスとマイナスの電荷に分かれるようになります。これを双極子モーメントといいます。
光には波があり、光は電磁波の一種です。つまり、光には電場があります。電場のある光が物質に当たったとき、分子はプラスやマイナスの電荷に分かれ、双極子モーメントを有するようになります。
光電場によって双極子モーメントが引き起こされるため、これを誘起双極子モーメントといいます。
光は波であるため、常に振動しています。光の振動に合わせて、誘起双極子モーメントが振動します。つまり、分子が動きます。その結果、当てた光と同じ振動数の散乱光が観測されます。これがレイリー散乱です。
原子に着目し、ラマン散乱が起こる
次に、原子に着目しましょう。原子についても、同様に電荷があります。原子核には陽子と中性子があります。つまり、原子は振動しています。
そこで原子に光エネルギーを当てると、光電場によって双極子モーメントが生み出されます。ただそれだけでなく、原子核の振動によってもエネルギーの違いを生じるようになります。
分子がもつ電子の動きに比べると、原子核の振動はわずかです。そのためエネルギー差はわずかしかありません。ただそれでも、観測されるエネルギーに違いを生じるようになります。
光の振動数と原子の振動数が相互作用することにより、散乱後のエネルギーに違いを生じるようになります。これがラマン散乱であり、ラマンスペクトルとして観測されるようになります。
ラマン散乱は弱い光なのでレーザーを用いる
なお電子の動きに比べると、原子の振動の違いなので、エネルギー差は少ないです。また多くの散乱光はレイリー散乱であり、ラマン散乱によってストークス散乱や反ストークス散乱を起こすケースは少ないです。
つまり、ラマン散乱の光は強度が非常に弱いです。ほぼレイリー散乱であるため、通常の光でラマン散乱を観測するのは困難です。
そこでレーザーを用います。レーザーのように非常に強い光を当てるからこそ、ラマン散乱を観測できるようになります。観測されるエネルギーが弱かったとしても、出力エネルギーを上げれば、ラマンスペクトルのピークを観測しやすくなるのです。
IRスペクトル(赤外吸収スペクトル)との違いは何か
なおラマンスペクトルでは、赤外分光法と比較されることがよくあります。これについて、IRスペクトルとの違いは何があるのでしょうか。
単位については、ラマン分光法も赤外分光法もcm-1です。ただラマン分光法の場合、観測できる振動の種類が異なります。分子が伸縮振動をするとき、以下の2つがあります。
・2つの結合が同時に伸び縮みする
・2つの結合が互いに伸び縮みする
このうち、結合が同時に伸び縮みする運動について、IRスペクトルでは観測できません。ただ、ラマンスペクトルでは測ることができます。
それでは、結合が互いに伸び縮みする場合はどうでしょうか。これについて、赤外分光法で測定することができます。しかし、ラマン分光法では何も分かりません。
赤外分光法で分からないことであっても、ラマン分光法であれば分かることがあります。また、その反対もよくあります。ラマンスペクトルが赤外吸収スペクトルの補助となるのは、互いに測定できない部分を補えるからなのです。
測定時の原理を理解し、ラマンスペクトルを利用する
こうした原理によって、分子が有する振動スペクトルを観測するのがラマン分光法です。光エネルギーの吸収ではなく、光の散乱を観測するのがラマンスペクトルでのピークです。
ラマンスペクトルで観察されるストークス散乱や反ストークス散乱のピークは物質固有のものです。化合物が違えれば、観察されるラマンスペクトルも変わってくるのです。
未知化合物の構造決定は無理ですが、既知化合物と照らし合わせることで、ターゲット化合物かどうかを判別できるようになります。赤外分光法(赤外吸収分光法)とは異なる原理によって測定するため、ラマン分光法は異なるピークを測ることができます。
これらの原理を理解したうえで、ラマンスペクトルを利用するようにしましょう。